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ピアノの難しさ

メカニックの面においても比類のない巨匠であったリスト。

彼は晩年に、『メカニックからではなく、自己のインスピレーションからテクニックを創造せよ』と、よく言っていたそうです。

その発言は、リストの奏法の秘密を得ようとはるばるワイマールにやってきたピアニストたちを失望させたそうですが、ピアノのむずかしさは、基本の奏法(頭の使い方)が違うと音禁的イメージがそのまま音になってくれないというところにあるのです。

そのため、モーツァルトが最高にむずかしい、ということになってしまうのです。

音楽的イマジネーションがテクニックをつくっていく、とはいっても、それは「音」から入り、つねに音楽を中心においたピアノを学んできた人についてのみの言葉となります。

基本の弾き方を身につければ、音楽的イメージを具体化するのに必要な運動は、頭の命令のまま、肉体(指、腕)がひとりでに見つけてくれます。

しかし、ピアノメトードの中心が、まずメカニックを身につけることにあり、自意識のつくまでにひと通りのメカニックを完成させることを目的としています。

芸術への道はそれ以後、その人の音楽性によって切り開いていく、という考え方にある以上、楽しみながら自分の音楽を組み立てていくという自然な奏法の実現はむずかしいのです。

そのため、現在のピアノ界においては、ほとんどが、メカニックと音楽との2本立てにならざるを得ません。

しかしこのふたつは、奏法上に矛盾があるので、メカニックと音楽との融合がうまくいかず、音楽的なピアノを弾く人が、ひじょうに少なくなってしまうのです。

ピアノを専門に学んできた人々がこのような動きのメトードの弊害から脱出する道・・・。

それは、完全弛緩という腕の状態を認識すること。

また、自らが音への欲求「こういう音を出したい」との願望を切にもち、指を動かして弾くのではなく、頭の命令によって弾く、という、そのことを分らせなければなりません。

ピアノを弾く腕の重みは全部下へ

完全弛緩状態においてピアノを弾く、ということ。

これは、真直ぐ伸びた腰から背骨を中心に肩からストンと落ちたその腕は、前腕の重みも肘の方へ抜き、手のかまえもすべて取り除いた自然な「休め」の状態で、指先の意識のみで弾くことなのです。

ということは、指先を使うために、本当に必要な筋肉のみしか使わない、ということなのです。

これで弾くことができたならば、腕は完全弛緩状態のままで弾けるので、指はよく動き、また腕全体を使って、ありとあらゆる音楽の表現を、自由自在に、呼吸のままにできるようになります。

指先に手の重みをのせて弾く、という弾き方は、完全弛緩ではないのです。

大部分の人は、手や腕の重みを、直接、鍵盤の上にかけて重心移動をし、fを出す、と思っているようです。

それが古い時代の、指先だけのいわうるフィンガーテクニックと、ロマン派以後の、多彩な表現を必要とする重力による奏法との違いである、と思っているようです。

しかし、その腕の重みは、直接指先にかけるのではなく、全部、下へ落してしまってよいのです。

それが、ギーゼキングのいう、歩行の際の腕の状態であり、これが、完全弛緩状態なのです。

これが指先のはたらきを活発にし、呼吸で弾くことのできる腕の状態なのです。

必要な時は腕全体を使ってfが出せ、しかも、タッチから入っているので、音色は心に思うのみ。

それで、指先はその通りに表現してくれるのです。

特に重心移動などといわなくとも、この弛緩状態にある腕が、音の要求どおりに、自然に重心移動をしてくれます。

リーベルマンの言うことには

この方法は、腕の弛緩ばかりではなく、手のかまえもすべて取る、というそのことが大切です。

これは音から入るからできることであり、いわゆる奏法から入ると、完全弛緩は得られないのです。

それゆえ、リーベルマン著・林万里子訳の『現代ピアノ演奏テクニック(音楽之友社)』のような、よく書かれた本ではあっても、基本の奏法に関する部分やその訓練方法は、弾くこと主体の動きのメトードゆえ、「音」から入る『頭で弾く』奏法とは相入れないこととなります。

ピアノのタッチとは、頭からの指令が指先にはたらいてタッチをつくっていきます。

その感覚の養成には、つねに頭をはたらかせ、積極的に頭と指先との正しい関係をつくっていくことしかないのです。

しかし、リーベルマンは演奏テクニックの基礎において、こんなことを述べています。

『現代の演奏テクニックの基磯なるのは、いわゆる(ピアノ)タッチである。

ここでタッチというのは、指先を通して自由に動かされる手と、鍵盤との間の連続的な結合の感覚を意味する。

言いかえると、これは手全体を鍵盤において「動かせる」こと、自由な手の重みを用いて音を作り出せることである』。

そのためは、『指が鍵盤を支えている感覚なしには実現できない』と、その基礎の重大さが述べられています。


そして『自由な手により鍵盤を支える感覚を失わないようにして、生徒に強靱な指の打鍵法を学びとらせること』の方法が書かれていますが、この方法は、腕の重みを指先にかけることによって、腕の力を抜きながら腕全体の音を出させるためにはよい方法です。

とくに堅くなった腕を、指とともにはたらかせるには大変効果があります。

しかしこれは内部からの弛緩、ここでいう完全弛緩とは似て非なるもの、つまりつくられた弛緩なのです。

完全弛緩の感覚が命

アレクセーエフ著『音楽作品の研究』には、このようなことが書かれています。

『われわれが「自由」と呼ぶものは、筋肉のあらゆる緊張がとれた状態でなく、運動の妨げになる余分な
緊張がとれた状態である』。

これは実際には分りにくく、運動感覚でいくと、力の抜き方、腕の使い方、ということになります。

しかし本当は、その必要な緊張とは動きが作るものではなく、頭の命令が作るものであり、音への要求によって、自然に肉体が反応する緊張なのです。

そしてそれは、完全弛緩であるからこそできることなのです。

ピアノの演奏で絶対に必要なことは、完全弛緩の感覚を失わせてはならない、という一語に尽きる、といっても過言ではありません。

完全弛緩であるからこそ、指先に意識をもつくことができ、手、腕、は自由にはたらけるのです。

頭の命令のままに、生きた機械のように、巧妙に、迅速に、目的を果たせるのです。

技術が先に立つと上記のような言葉となり、それは非常にむずかしく、とくに練習途上の学生には解らない言葉となります。

完全弛緩のもと、頭が先行していけば、その緊張は自然に得られることで、音楽を考えることによって解決していくのです。

ピアノは完全弛緩であったならば、心の欲するさまざまな音質、音色が、指先の微妙な触覚によって鍵盤に直通していき、自分の心が直接ピアノに移ったかと思われるほど、深く感情移入することができます。

また、いっさいの暴力的なものなしに、腕全体を使った呼吸による音、最大のヴォリューム・大地のごとく太い音をも出すことができるのです。

そして、すべての音は、意識の中にとらえることができます。

意識された音は透明度が高く、気品があり、動きは繊細に、演奏は精神的になります。

動きから入った人は、すべての音を意識する、などのことは不可能だと思っているようですが、これは、入り方の違い、頭の使い方の違いによるのです。

そしてこの方法だと、どんなにらくに心にかなった演奏ができ、自分で音楽を再創造していく喜びに心が満たされるか分らないのです。

正しい音楽教育をしよう

素晴しい音楽の世界に憧れて、ピアノのおけいこをはじめた人々が、苦しさのみで終ってしまうことがよくあります。

これは、ピアノを弾くことの基礎が間違っているためだということを、つくづく感じさせられます。

ピアノほどむずかしい楽器を、才能教育のもとに幼児に無理じいしたり、はやく上手に弾かせようと先を急ぐため、基礎にこそしてあげなければならない土台作りがなされないのです。

そればかりか、間違ったところへいってしまうからなのです。

ピアノ教育にあたるすべての人は、この基礎教育の重大さが分って、みなが正しい音の認識をもって、指導にあたらなければならないことを痛感します。

ピアニストの病気

腕を鍵盤の位置まで上げ、その状態を保っていれば、何の運動を行なわなくとも疲労がきます。

そのためには、僧帽筋、三角筋という首、肩、背中にわたってはたらく筋肉の支えを必要としているからです。

肘を下へ落していても肘先に手の重みをかけるということは、前腕には、つねに筋肉の静的収縮が行なわれています。

これはピアノを弾くためにはあまり必要のない労力なのに、現実にはほとんどつねに、そういった筋肉の静的収縮のもとにピアノを弾いているのです。

そしてまた、動く指、強靱な打鍵をすることのできる指の訓練をしているのです。

この状態が、ピアニストの病気として問題になっている、頸肩腕症候群をひきおこす土壌となっています。

そのような状態で長時間ピアノを弾き続けていれば、手の小さい人や、筋肉の弱い人に障害がおきるのは当然なことといえましょう。

頸肩腕症候群といわれるものは、単なる腱鞘炎ではなく、本来は先に述べたような状態(上肢の挙上、保持状態)で、指を反復使用する作業に多発している職業病です。

以前は、キーパンチャー病といわれたものです。

これは手-腕-肩-背中にかけて痛みが出、ピアニストがこの病気になったら、再起不能といわれるほど、治りにくいものです。

それを防ぐためにも一番大事なことは、つねに完全弛緩状態においてピアノを弾いていくことしかありません。

腱鞘炎はこわい

単純な指の使い過ぎによっておこる腱鞘炎も、全快までに大変時間がかかるので、ピアノを弾く人には警戒しなければならない病気です。

『頭で弾く』奏法によってピアノのおけいこをしてきた人は、ピアノを弾くとは、音を聴き、頭を使うことなので、頭脳の疲労こそあれ指をいためることはありません。

しかし、指の訓練を中心にしたおけいこでは、メカニックをつけたいあまり時間を忘れてしまうので、気がついた時は手遅れになる、という危険性を充分もっています。

ちょっとしたはずみで腱を傷めた場合は、「はり」などで簡単に治ることもありますが、弾き過ぎて万一腱靱炎になってしまったのなら、とにもかくにも休ませることしかありません。

原因は、明らかに使い過ぎなのですから、炎症をとるための湿布をして、その手は絶対安静という覚悟で、しばらくピアノは捨てなければなりません。

注射などで弾きながら直そうなどと思うと、かえって辛い思いをすることになるので、覚悟をきめて何ヶ月か、時には1年位、ピアノを忘れることです。

湿布ははじめが大事で、はじめのうちは3~4時間ごとに取り変えるほうがよいでしょう。

しかし何といっても休めることが第一なので、その後はあせらず、気持を切り変えることが大切です。

症状によっていろいろなので一概には言えませんが、何ヶ月かの安静後の注射が効果てきめん、ということもあります。

また、ラドン温泉による治療は、新陳代謝を促進し、回復をはやめてくれます。

しかし、1年以上は休むつもりでその間、榊状態が悪くならないように他に目的をつくると、それもまた楽しくなるでしょう。

読書やレコード鑑賞なども、ただ漫然とするのではなく、計画的にすると興味が湧いて集中でき、思いがけない収穫になると思います。

完全弛緩でこそ生れる表現の多彩さ

弾くこと主体の、ピアノのおけいこをしてきた人にとって、一番の問題点が、いままで述べてきたところの完全弛緩にあるのだと思います。

弛緩の感覚は内的に把握されなければならないもので、それは「音」を主体とした教育による第一歩からの正しい習慣によって、身体が自然に覚えていくものだからなのです。

外部的に加えられた運動によって力を抜くことは、完全弛緩ではありません。

また、技術の確実さは、タッチする前の安静にかかっており、必要でない運動は、いっさいこれを避けるということが最高度の技術を得るためのポイントです。

それなのに、力を抜くためのムダな運動により、演奏をより困難なものにしていることが、どんなに多いか分らないのです。

しかも、ピアノという楽器の宿命のように、そこを特に意識させなければ必ず弾くことが先立つため、例外なくカが入り、その力に力をもって対抗するかのように指の訓練が行われるのです。

これは、重い荷物を背負って走らされているようなもので、どんなに訓練しても、身軽な人の自由さには及びもつきません。

しかもそうやって訓練してきた人は、筋肉を鍛えているので、そんな無駄な力を使っているとは思ってもいないのです。

そして、動きのパターンを身につけて、リズムにのって、かなり達者に弾くことはできますが、音色、音質の問題となると、またまた壁にぶつかってしまいます。

音による心の表現こそ、完全弛緩であるからこそ、気持がまっすぐに指先に伝わっていくのです。

完全弛緩をおいてほかに、その自由な表現はありません。

自由な表現をするために

完全弛緩の感覚を見失ってしまうと、水の流れの中に、石を置いて流れを疎外するようなもの。

気持がまっすぐ指先に伝わらないため、心のままの音を出すのに大変な苦労をするのです。

そのため、やたら身体を動かしたり、顔にまでその無理は表れてきます。

それでも満足のいく表現ができれば、弾き方など云々する必要はないのですが、大抵は、うまくいって達者に弾くだけのピアノに終ってしまい、その上の段階にのぼれないのです。

ヨーロッパやアメリカへ勉強に行った音楽学生が一様に言われる言葉は「指はよく動くが、音がみな灰色である」ということ。

これは、音への感覚、心のあり方が根本問題ではありますが、そこまで行ける人は、普通はよい感性
と音を求める心は充分もっているもの、心で欲していても、弛緩を失っているために表現できないという場合が非常に多いのです。

そのため、『技術とは力を抜くことである』と、弛緩を得ようとするのですが、長い間培ってきた奏法によって弛緩の感覚を失っているのですから、いくら努力しても、これは大変困難なこととなります。

完全弛緩でさえあれば、音のイメージによって自然に音色の変化ができるのに、ただ音楽の理解だけで弾いていくことができるのに、それが自然にいかなくなってしまっているのです。

そのため、この音はこうする、ああすると、指の当て方とか、手首の使い方、腕の重みのかけ方などを、いちいち指示を受けなければならなくなるのです。

これでは、いくら何種類、何10種類の弾き方を覚えても、それに熟達しても、無数にある心の表現はなし得ません。

また、そういった弾き方の指導によって、自由な表現、心を打つ演奏ができるわけがありません。

現在のピアノのおけいこにおいては、動く指の訓練をして力の入った腕をつくり、今度はより高度な技術のために力の抜き方を教わる、という2度手間、無駄な訓練を強いられているのです。

しかし、1度色のついたものは、2度と純白にはならないように、動きの訓練をしてきた人にとっては、弛緩の感覚をつかむことは、容易ならざることとなってしまいます。

そのため、姿勢や呼吸法による矯正や、ヨガなどによってかたまった筋肉をほぐす、ということが行なわれることとなります。

完全弛緩奏法を会得している人と、そうでない人との違いは、はっきりとピアノの音質に出てきます。

力で弾く人の音は堅く、fは騒々しく、Pに安らぎがありません。

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